清澄

東京都江東区の地名.元は猟師町八ヶ町の一つの弥兵衛町.地形が安房国の清済[清澄]に似ていたことから、1695[元禄8]年の検地の際に清住町と呼ばれるようになったとも言われている.しかし、安房の清澄寺付近の地形と深川の地形は似ているとは到底言い難い.安房鴨川の清澄寺は久遠寺、池上本門寺、誕生寺とともに日蓮宗四霊場として知られる地.その清澄寺は標高377mの妙見山に本堂を構えている.そう、そもそも山なのです.

それでは、猟師町八ヶ町の一つの弥兵衛町が何故に清澄町となったのだろうか.弥兵衛が清住姓だったからだともいう.清住姓は信濃国小県郡清住村をルーツとしている.猟師町八ヶ町を開拓した8人は摂津の出身だったと伝えられているがどう関係しているのだろうか.由来は定かではありません.

1697[元禄10]年、町の北部が上地となり、小笠原彦太夫の屋敷となります.1698[元禄11]年には、町の南側の地が仙台藩の土地となります.仙台堀川の名前の由来は仙台藩にあります.

1871[明治4]年に深川海辺大工町代地を合併.さらに、陸奥仙台藩邸、坂左近、森本弥一郎等の武家地と東村山市萩山町に移転した曹洞宗天王山霊運院[現在は萩山町から富士見町に再移転]の寺地を合併します.霊運院は江戸時代には曹洞宗としては永平寺、総持寺に次ぐ格式を有していたといいます.

1932[昭和7]年、伊勢崎町、西・裏・仲大工町と合併し清澄町となりました.

posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.

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