流作場

新潟県新潟市中央区の地名.

信濃川河口部右岸の堤外の新田であり,流作場新田と呼ばれていた.

元禄12[1699]年には新潟町と沼垂町の間の13の中洲として記され,長岡藩領新潟分と新発田藩領蒲原分とに別れていた.元禄12年の係属訴訟によって13の中洲は新潟分とされた.

延享3[1746]年,長岡藩は五泉の安倍玄的らによる中洲開発の請負を許可.開発された地は流作田とされ,河口から居村・居島・水島の字が置かれた.

昭和時代初期からの信濃川旧流域の埋め立てによって都市化.1968年に万代・八千代となり消滅.地番に流作場と流作場ノ内水島として痕跡を残す.

なお,一帯は開発者に因んで玄的と呼称された.


出典:国土地理院地図[電子国土Web]に一部追記.

#新潟県 #新潟市 #万代 #八千代

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