長崎楯

山形県東村山郡中山町長崎の城館.源頼朝の側近・大江広元の嫡子である大江親広[-1242]は承久3[1219]年の承久の乱において,父・大江広元と子・大江佐房は幕府軍として戦った一方で,大江親広は後鳥羽天皇[1180-1239]に与して鎌倉幕府軍と戦って敗れた.

大江親広は京都から落ち延び,祖父・多田仁綱[-1234]が目代を務める出羽国寒河江荘に隠れる.その時に,大江親広に従った武将の一人として中山忠義がいる.この中山氏の7代・中山継信が至徳元[1384]年に築城したのが長崎楯.中山継信は長崎楯を拠点として最上川南岸の沼尻郷を開拓した.

文安2[1445]年頃,中山宗朝の代には長崎楯は約100メートル四方で水堀に囲まれた本丸と約580メートルを長辺とする同じく水堀に囲まれた二の丸を備えるに至る.

元和8[1622]年,最上氏が改易されると中山氏も長崎楯を去った.

現在,本丸内にあった大銀杏が残る.


出典:国土地理院地図[電子国土Web]に一部追記.

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