小田井城

愛知県清須市西枇杷島町小田井にある城館.小田井城は尾張国守護代の織田敏定[1452-1495;織田大和守家]によって築城されたという.その後,織田敏定は清洲城へと移り,小田井城は弟の織田 筑前守常寛[良頼;-1506]に任された.織田常寛の跡は子の織田藤左衛門尉寛故,孫の織田藤左衛門尉寛維,寛維の弟の織田左衞門佐信張が城主を務めた.この織田藤左衛門家と清洲三奉行の一家として知られる.

織田信張[1527-1594]は織田信長に仕え岸和田城を任され和泉国半国を領知.織田信長が本能寺に倒れた後は小田井に戻り,織田信長の次男・織田信雄[1558-1603]に仕えた.

織田左衞門佐信張の子・織田信直[1546-1574]は天正2[1574]年の第3次長島攻めで討死していた.このため,織田信張の跡は信直の子・織田信氏[-1584]が継ぐ.その織田信氏も祖父・信張に先立ったため,信氏の弟で津田氏を名乗っていた忠辰[1572-1613]が承継.

津田忠辰は天正12[1584]年の小牧・長久手の戦いによって豊臣秀吉によって小田井城から追放.津田忠辰の子には津田信番,津田知信,津田宗元があった.津田信番は因幡鳥取藩池田家宗家2代の池田忠雄に,津田知信は尾張徳川義直に,津田宗元は津田元綱の養子となった後に播磨国姫路藩の初代藩主・池田輝政に仕えた.


出典:国土地理院地図[電子国土Web]に一部追記.

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織田藤左衛門家の系譜

posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.

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