楽田城

愛知県犬山市字城山にある城館.「がくでん」と読む.

尾張国と信濃国を結ぶ木曽街道の近くにあり,永正年間に尾張国守護代の織田久長によって築城されたと伝わる.織田久長の子・織田敏定は小田井城を築城し楽田城を一族に任せた.こうして織田大和守家に代わって楽田城を守ったのが織田大和守家の支流である楽田織田家.

しかし,楽田織田家は織田寛貞の代に,織田信長に叛旗を翻した犬山城主・織田信清によって永禄5[1562]年に楽田城を襲われ落城.織田信長による反撃によって,織田信清は永禄7[1564]年に犬山城を落とされ甲斐武田氏の許へと亡命している.

以降,楽田城は織田信長の家臣・坂井政尚[-1570]の守備するところとなる.その子・坂井尚恒[1555-1570]も城を守ったが父子は近江国における戦いで相次いで討死.織田信長によって梶川高盛[-1596]が守将として配置された.

天正12[1584]年,豊臣秀吉と織田信勝・徳川家康が覇権を競った小牧・長久手の戦いでは,小牧城・犬山城戸ともに楽田城も前線となり,豊臣秀吉に与した堀秀政[1553-1590]が入っている.小牧・長久手の戦いの後に廃城.


出典:国土地理院地図[電子国土Web]に一部追記.

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楽田織田家の系譜

尾張楽田城主・織田寛貞は犬山城主・織田信清によって楽田城を奪われた.織田寛貞の子の織田忠寛[-1577]は織田家の対武田家外交を担っている.

永禄11[1568]年,織田忠寛は北伊勢侵攻後の安濃津城に城将として配置され,織田信長と伊勢国国司の北畠具教・具房父子との間の大河内城の戦い[1569]に従軍.織田信長が勝利し,織田信長の子・信雄が北畠家の家督の承継が決まると,信雄に附属した.ところが,天正4[1576]年,織田信長の命により北畠具教が三瀬御所において討ち取られ,同日に北畠一門の長野具藤・北畠親成・坂内具義も田丸城にて謀殺された[三瀬の変].この戦いの直後に織田忠寛は北畠一族との関係を滝川雄利[1543-1610]に疑われ日置大膳亮によって討たれた[『勢州軍記』].

posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.

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