元禄年間までは、南茅場町、深川松村町の材木問屋の木置場がありました.
1698[元禄11]年、伊奈半左衛門を代官、深津八郎右衛門正国を普請奉行として、寄り洲を埋築します.深津八郎右衛門正国は朝比奈元長の曾孫良明の五男・深津正貞の娘を室として深津家に入った人物です.朝比奈元長は太原雪斎らと共に今川家中では重鎮として知られた人物で駿河朝比奈氏2代当主.
ともあれ、埋築によって出来た地を、1701[元禄15]年に、町人が買い受けて、深川東平野町、深川西平野町、深川亀久町、深川大和町、深川宮川町、深川入船町、深川島田町、深川島崎町、深川扇町、深川茂森町、深川吉永町、深川山本町、深川西永町、深川三好町、深川元加賀町、深川木場町の16ヶ町を立てます.続いて、深川伊勢崎町、深川石島町、深川末広町、深川六万坪町、深川六人屋敷、深川冬木町、深川一色町、深川平富町もしくは深川平久町の8ヶ町を加えて築地24ヶ町と称するに至ります.
1932[昭和7]年に、帝都復興計画の一環によって、清澄町二・三丁目に編入され深川伊勢崎町は消滅しました.
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