長野県松本市小屋南にある城館.小屋城ともいう.
木曽義仲の家臣・手塚光盛[-1184]が築城し嫡男の熊王丸も城を守ったという.その後,埴原牧の官人・埴原氏の末裔とされる村井氏の居城とされたと伝わる.
村井氏は,鎌倉時代以来,村井城を拠点として中山・内田・寿・芳川・広丘・片丘を支配.村井城は平時の居館であり,埴原城を詰めの城としていた村井氏は,天文17[1548]年に甲斐国守護・武田信玄が信濃国守護・小笠原長時と争うと,これらの城をもって防衛戦を張った.
武田軍は村上義清に上田原の戦いで大敗を喫し,諏訪郡代・板垣信方が討ち死にしていた.これを好機とした小笠原長時は花岡氏や矢島満清ら諏訪西方衆の離反に成功.山家氏・三村氏・仁科氏らを率いて塩尻峠に陣を布く.ところが,小笠原長時は作戦を巡って仁科盛能と対立.仁科盛能は小笠原軍から離脱する.
武田信玄は密かに塩尻峠に迫り,油断していた小笠原軍を襲撃[塩尻峠の戦い].小笠原軍は総崩れとなり,武田軍は追撃により前山城などの佐久地方の諸城を制圧するに至った.
この戦いで村井氏一族は滅亡し村井城は武田軍によって接収.小笠原長時が籠城した林城攻略の拠点とした.
出典:国土地理院地図[電子国土Web]に一部追記.
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