広島県三次市高杉町にある城館.備後国の国人衆である江田氏の家臣・祝氏の居城だったと伝わる.祝氏という名は城内の知波夜比古神社の神職家であることによる.
知波夜比古神社の境内が本丸だと考えられ,高杉城が存在していた時から知波夜比古神社は存在していたとも考えられている.
出典:国土地理院地図[電子国土Web]に一部追記.
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備後国三谿郡高杉郷に鎮座する知波夜比古神社の神職家である祝氏が高杉氏を称したことが起源.祝氏は備後国国人・江田氏の配下であり大内氏の傘下であった.
祝氏は安芸国分郡守護武田氏の支流とされる.
しかし,天文20[1551]年に陶晴賢が大内義隆を滅ぼす[大寧寺の変]と,尼子氏へと鞍替えを行う.これに対し,陶晴賢の命を受けた毛利元就が高杉城に攻め寄せ落城させた.陶晴賢と毛利元就が対立する[防芸引分]と,祝氏一族のうちで生き残った祝広縄,高杉小太郎らは毛利元就に与して厳島の戦いを戦ったいる.
子孫に高杉晋作がいる.
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