1609[慶長14]年,村山郷岸在の村野三右衛門[後に砂川氏]が新田開発を幕府に願い出.玉川上水が1654[承応3]年に竣工した後,1657[明暦3]年に砂川分水を許可され,砂川新田の開発が始まる.
1736[元文元]年に砂川新田は砂川村となる.
1867[慶応3]年には村野源五右衛門泰忠[1838-1911]が名主を務めていたことが知られている.村野源五右衛門泰忠は江戸麹町番町の斉藤徳心斎のもとに入門し神道無念流の免許皆伝を受けている.
1867[慶応3]年に村野源五右衛門泰忠は玉川上水通船計画の運上目論見書を幕府御普請方出役に提出.
明治維新直後に,元勲・三条実美が砂川村に農民の実情視察に訪問してことが知られている.その時に,村野源五右衛門泰忠は知己を得て,その助言により村野氏から砂川氏へと改姓したとも.
1879[明治12]年,殿ヶ谷新田・宮沢新田・中里新田・芋窪新田・八軒新田・榎戸弁天新田が砂川村に編入.
明治政府が郡区町村編成法,府県会規則,地方税規則の「三新法」を施行すると三多摩が誕生.神奈川県北多摩郡砂川村となる.
北多摩郡長には砂川源五右衛門,南多摩郡長には佐藤彦五郎,西多摩郡長には細谷五郎右衛門がそれぞれ初代郡長として任命された.
1893[明治26]年4月1日,北多摩郡が南多摩郡,西多摩郡とともに神奈川県から東京府に編入され,北多摩郡砂川村も東京府に入る.
1954[昭和29]年6月30日,町制施行により砂川村は砂川町となる.
1955[昭和30]年5月4日,砂川町長宮崎傳左衛門に調達庁東京調達局立川事務所長から立川基地拡張計画が通達される.これに反発する住民らが砂川町基地拡張反対同盟を結成し砂川闘争が開始されました.このとき,阿豆佐味天神社に人々が結集した.
1963[昭和38]年5月1日,砂川町が立川市に編入.
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