空堀川以北である狭山丘陵の谷ッに本拠を構え,その南の武蔵野の原を新田開発して立てられた.もともとは奈良橋村に属していたが,正徳年間[1711-15]に独立した.文久年間には,内野杢左衛門が庄屋を務めたことが知られている.
蔵敷村をはじめとする東大和市域の村々は芋窪村を除くを除いて上新井村組合を作っていた.しかし,上新井村が組合から抜けたため,新たに蔵敷村組合を組成した.なお,上荒井村は現在の埼玉県所沢市の市域に位置していた.
1889[明治22]年4月1日の町村制の施行により,神奈川県北多摩郡清水村・狭山村・高木村・奈良橋村・芋窪村とともに町村組合を結成し高木村外五ヶ村組合となる.
1893年に神奈川県から東京府に移管.1919[大正8]年11月1日に高木村外五ヶ村組合が廃止となり,各村が合併して大和村となった.大和村の名は6村が「大いに和して」という意味が込められた.
鎮守として知られる蔵敷熊野神社は内野家の祖と言われる内野秀勝が鬼門除けに勧請したという.創建は蔵敷厳島神社と同じく永禄年間だろう.
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