奈良橋村

現在の東京都東大和市の市域にあった村.

奈良橋の名前は1466[文政元]年の豊鹿島神社本殿の創建棟札に「武州多摩郡上奈良橋郷」とある.この時点では奈良橋村ではなく奈良橋郷であった.1576[天正4]年の豊鹿島神社の棟札も「武州多摩郡上奈良橋郷」となっている.この豊鹿島神社はのちの芋久保村に鎮座しているのだが,1601[慶長4]になって初めて棟札に「武州多東郡奈良橋内芋窪」と芋窪の名前が登場する.それまでは付近一帯が奈良橋郷と呼ばれていたということになる.芋窪の名前は徳川家康が江戸に入った後の1591[天正19]に高木村とともに芋窪村として現れる.

奈良橋村の起源も徳川家康の江戸入府であり,八幡谷ツを中心にして奈良橋村として区別されるようになり,奈良橋村330石を石川太郎左衛門が地頭として任命された.

1889[明治22]年4月1日の町村制の施行により,神奈川県北多摩郡清水村・狭山村・高木村・奈良橋村・芋窪村とともに町村組合を結成し高木村外五ヶ村組合となる.

1893年に神奈川県から東京府に移管.1919[大正8]年11月1日に高木村外五ヶ村組合が廃止となり,各村が合併して大和村となった.大和村の名は6村が「大いに和して」という意味が込められた.

1970[昭和45]年10月1日,大和町が市制施行し即日改称により東大和市となる.

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