新潟県五泉市の地名.
1889[明治22]年4月1日,中蒲原郡石曽根村,千原村,町屋村,今泉村,木越村が合併し菅名村に.もともと中世に木越は菅名庄に属していた故である.1955[昭和30]年3月31日,菅名村を二分割し,石曽根,千原,木越の一部が中蒲原郡村松町,大蒲原村,川内村,十全村と合併し中蒲原郡村松町に.菅名村のうち今泉,町屋,木越は五泉市へと編入.木越は二分されることとなった.その後,2006[平成18]年1月1日には,五泉市と中蒲原郡村松町とが合併し五泉市となり,二分割されていた旧木越は五泉市に含まれるようになった.
木越は早出川[Haide River]左岸の自然堤防[natural levee]の上に位置している.南は真福寺のある石曾根,北は五十嵐新田に接している.
木越のうちの馬場[Banba]には城資茂の館と伝わる馬場館が残る.城資茂は城資永の弟で,承安年間[1171-75]の築城と伝わり,周囲には殿小路・矢倉下という地名がある.城氏は越後平氏の一族で,城資茂[1152-1201]は兄の資永の急死を受けて家督を承継.治承5[1181]6月,平清盛の命を受けて信濃国横田河原[長野市]において木曽義仲軍と干戈を交えるも大敗[横田河原の戦い].さらに進撃を続ける木曽義仲軍への牽制のために,平宗盛によって越後守に任じられる.しかし,越後国衙を掌握することが出来ず,寿永2[1183]年7月に平家が都落ちすると越後守を罷免された.
平氏が壇ノ浦で滅亡すると,城資茂は囚われ梶原景時に預けられる.後,奥州征伐の軍功によって赦免され御家人に列した.
©OpenStreetMap,N.T.
地図の中の二重丸は城跡・館跡.
©OpenStreetMap,N.T.
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