阿賀野川の下流左岸に位置し,かつては横越島と呼ばれていた[直江兼続条目写;1596].これは,阿賀野川と小阿賀野川の分岐点を一端とする島にあったため.文字通り,島だったのである.館ノ腰と呼ばれる地からは土器が見つかっており中世城館と考えられる.そして,江戸時代には亀田郷横越組の中心地でもあった.
1610[慶長15]年から1687[貞享4]年まで新発田藩の支藩の沢海藩[Soumi]の城下であった.沢海藩の藩祖は新発田藩の藩祖溝口秀勝の次男・溝口善勝[1584-1634].兄で新発田藩主の溝口宣勝から1万2,000石を分与され自領の2,000石と合わせて1万4,000石で越後沢海藩を立藩.溝口善勝の後は政勝が継いだ.溝口政勝の子の政武は早世していたため,その後は加藤明友[近江水口藩初代藩主]の次男であり,溝口政勝の甥である政親が養嗣子となって沢海藩主となったが失政が相次ぎ改易された.こうして,沢海藩は廃藩となり横越村は新発田藩が統治するところとなる.1737[元文2]年には蒲原組と横越組は合併し蒲原横越組となっている.
本村の他に,川根谷地[Kawane-Yachi]・藤山・駒込・袋津・城山[Jouyama]・所島[Tokorojima]などを有し,枝村として浦新田・荻曽根新田・砂崩新田[Sunakuzure]・江崎新田・茗荷谷新田・丸山新田・長潟新田[Nagata]を抱えていた.
幕末には,伊藤家が千町歩地主として台頭した.
1883[明治16]年に横越村は横越村・袋津村・城所村の3村に別れた.1889[明治22]年4月1日の町村制施行により中蒲原郡横越村が村制施行.1901[明治34]年11月1日に,中蒲原郡沢海村・木津村・二本木村・小杉村と合併し新生の横越村となる.小杉村は横越村と同じく阿賀野川沿いに立地し,一方の木津村と二本木村は小阿賀野川沿いに立地していた.
1966[昭和41]年5月1日には北蒲原郡豊栄町,京ヶ瀬村との間で境界の一部を変更.1966[平成8]年11月1日に町制施行により横越町となった.
posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.