新潟県新潟市中央区の地名.現在の本町通は江戸時代の新潟町では新町であり,現在は古町通と呼ばれている通りが江戸時代の新潟町では本町通であった.
元和3[1617]年,越後長岡藩主の堀直竒[1577-1639]の命によって開発.開発当初は新町と呼ばれた.肝煎には玉木太郎兵衛ら4人が任じられている.
本町通は,南から,上一ノ町,下一ノ町,二〜六ノ町と連なり,広小路から風間小路までの十七軒町,御祭堀までの十四軒町,そのさきの横丁と湊町からなっていた.
二ノ町の加賀屋小路から十七軒町までの両側にある約100軒の商店は表店を許されるに至る.十四軒町の西側は肴町と呼ばれ大助賈[Ohsukego]という回船問屋が立ち並び,十四軒町・十七軒町には小助賈[Kosukego]と称される振売り,つまり,小売商人が居を構えていた.
上一ノ町・下一ノ町は足駄屋町と呼ばれ履物屋が軒を連ねた.
1872[明治5]年10月に新潟県令楠本正隆によって町名改正が行われた.
©OpenStreetMap,N.T.
【本町通全体地図】
©OpenStreetMap,N.T.
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