かつて,宮崎市にあった地名.宮崎県庁から大淀川に向かって伸びる通りのことであり,現在の本町通線に当たる.
1876[明治9]年8月21日,宮崎県が鹿児島県に合併された後,1883[明治16]年5月9日に宮崎県が再置されて以降に生まれた地名と考えられる.1884[明治17]年には,宮崎市内には上ノ町通,県庁馬場通,寺町通,県庁前通といった通りがあり,松山・瀬頭・上ノ町・広島・中村町・城ケ崎といった集落があったことが知られている[宮崎町史『明治十八年頃ノ宮崎町市街図』].
なお,この馬場という地名は祭りにおいて競馬を行った直線道路のことを指し,転じて直線道路一般のことを馬場というようになったものという.
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