新潟市の地名.江戸時代には御菜堀とも呼ばれていたが,明治に入って五番堀と改められた.「御」が「五」に訛ったと考えられている.
明暦元[1655]年に町を整備した際に,信濃川から堀を引き込み碁盤の目の町割りとした.堀は南北方向に西堀と東堀,東西方向に白山堀,新津屋小路堀,新堀,広小路堀,御祭堀という具合に掘られた.
1964[昭和39]年の新潟国体開催時に新潟はほぼ現在の姿になり,堀は埋め立てられ,南北方向は「通り」と呼ばれ,東西方向は「小路」と呼ばれるようになる.
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