新潟県胎内市の地名.
苔実と書いて Kokenomi と読む.
この辺りは紫雲寺潟だった場所.紫雲寺潟は新発田市紫雲寺から胎内市塩津にかけて広がっていた沼地.塩津潟と呼ばれていて,これが好字を当てて紫雲寺潟と書かれるようになった.
紫雲寺潟は江戸時代は幕府領で村上藩と新発田藩が管理を担当.当時の紫雲寺潟の水は加治川から阿賀野川を経て信濃川河口の新潟へと注いでいた.紫雲寺潟周辺の洪水に悩まされていた村上藩は幕府の許可を得て1721[享保6]年に長者堀[落堀川]を開削.しかし,長者堀[落堀川]はすぐに土砂に埋まってしまう.この苦境を知った江戸の竹前小八郎・権兵衛兄弟が同じく江戸の会津屋佐左衛門,柏崎の宮川四郎兵衛の出資を得て再開削を行なった.これらの大工事によって紫雲寺潟は干上がり42ケ村が誕生した.
幕府は竹前権兵衛[1679-1749]に無地代で500町歩を与え,竹前権兵衛は協力者に分配した残り約200町歩を開発し成立したのが米子,中島,竹島,苔実の4ケ村.
苔実というのはコケ「沼」が転訛した地名と考えられる.
©OpenStreetMap,N.T.
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