[石橋君] 「吉沢儀一という人が自分の買ったばかりの車で鼻歌を歌いながら音楽の音量を最大にして、しかも携帯電話を右手に持って女友達と話をしながらドライブを楽しんでいたんだそうです。そんな状態ですから、当然、横断歩道を青信号で杖を持った手を挙げて渡っていた、道を散歩している途中の近所の好々爺で有名な加賀爪惟盛さんなんかには気がつきもしなかったんです。気付いた時には既に遅く、加えて物凄いスピードを出していたので、加賀爪惟盛さんをはねて15メートルも飛ばしてしまったわけです。加賀爪惟盛さんは瀕死の重傷を負ってはいたのですが、お医者さんのいうには直ぐに連れてきてくれれば十分助かった可能性があったようなんです。ですがですよ、吉沢という男は何を思ったのか、加賀爪惟盛さんを自分の車のトランクに詰め込んで、どこかに捨てようとしたらしいんです。後部座席は汚れるからトランクだというんです。なんと言うことか。全く。で、そうこうしているうちに加賀爪惟盛さんは蒸し暑いトランクの中で息絶えてしまったんだそうです。その上ですよ、吉沢と電話をしていた女友達が物凄く変な音に気付いて通報して逮捕となったのですけど、俺が殺したわけじゃぁないだろうと。俺ははねただけだと言い張っているんですよ」


 「重傷を負った加賀爪惟盛さんを自分の車に乗せ結果、加賀爪惟盛さんを死亡させているので、その行為は殺人罪(199条)とならないのかと」
 「問題は、吉沢という若者は死の結果が発生するというような積極的行為を行っていないことだね。というわけで、吉沢という若者の不作為を殺人の実行行為と評価できるかを検討する必要があるわけだ」
 「殺人罪は作為として規定されているからね。でも、実行行為は犯罪の結果発生の現実的危険を有する行為であると捉えるなら、結果発生の危険を不作為によって実現することはできるわ。ということは、不作為にも実行行為性を認めることはできる」
 「不作為でも殺人といえる行為を犯すことができるというわけだね。でも、不作為犯とは期待された作為をしないことが犯罪にあたる場合であるわけでしょ、つまり作為義務の内容が明示されていないわけだ。そうすると、無闇矢鱈と認めるわけにはいかないね、不真正不作為犯の成立を限定する必要があるよ」
 「そうね、具体的には不作為に、作為によって当該構成要件を発生することとの同価値性が認められることが必要であると解されるわ。不作為によって具体的な危険が現実化されるような構成要件的同価値性は、@ 結果発生の現実的危険が発生していることA 結果防止の可能性・容易性、B 行為者に作為義務があることから判断するということになるね」
 「その作為義務の有無は、法令・契約・事務管理・先行行為等の存在などの総合的に判断する」
[石橋君] 「そうすると、吉沢っていう鼻歌を唄いながら運転していた人はやっぱり..」
 「加賀爪老人は車で跳ね飛ばされた時点で既に瀕死の重傷を負っているわけで、加賀爪老人 の生命・身体という法益に高度の危険が生じているといえるわ」
 「加えて、吉沢という人は車で加賀爪老人を跳ね飛ばしているだけじゃなくて車のトランクに詰め込んでいる。つまり、救助をなしうる者が自分しかいない状況を作り出しているということになる。こういう事情を考えると、吉沢という人には作為義務が認められるね」
 「それに、車を用いれば近くのテレビでも取り上げられた救命率の高いことで有名な緊急救命センターに加賀爪さんを連れて行くというような適当な処置をとることができたのよ。だから、結果防止の可能性も認められるわ」
 「つまり、吉沢君は加賀爪老人を跳ね飛ばした後の不作為には作為との構成要件的同価値性が認められるわけだ。吉沢君の行為には殺人罪の実行行為性を満たしているし、そのような吉沢君の人とは到底思えないような行為と好々爺で知られていた加賀爪老人の死の結果との因果性も認められる。ということだから、吉沢君は殺人罪の罪責を負うね」