風呂が直った。
 なんだか、こういうと変ではあるけれども、やはり湯船にどっぷりと浸かるのが一番だと思う。
 丁度、一週間前になる。風呂が壊れた。風呂が壊れたとは言っても湯船に穴が開いたとか、割れたとかいうのではない。水が漏れたというのでもない。風呂桶はステンレスで出来ているので錆びない、いや錆びにくいという。そして、滅多なことでは壊れないとも。
 これは、風呂を直してくれた職人さんから教わった。
 で、風呂のどこが壊れたのか。風呂を炊くための釜の部分にがたがきたのだ。
後付になるけれども予兆はなくもなかった。その何日か前からスイッチを捻ると釜は唸っていたのだ。ブーン、というのかゴーンというのか、そういう音を立てていた。それでも、何回かスイッチを捻り続けると咳払いのような音を立てて、それからフル稼働した。
 それが、最期の日には咳払いの後に事切れた。
 風呂釜の昇天。
ご苦労様。最期に不審な点があったわけではない。しかし、風呂釜はそうなるのが当然のように解剖ならぬ解体にまわされた。いや、まわされたのではなく、ちょっとグロテスクではあるが、その場で解体された。
 彼の体の中はドロドロだった。長い間の生活によって溜まったものだ。
もちろん、小まめに綺麗にしてあげるようにはしてはいたものの、それは外側からのケアだったから不十分であったということだろう。やはり健康は体の内側からというのが大切だ。
 ともあれ、その日から風呂桶の新しいパートナーを探すことになった。
 釜のことも考えずに不謹慎ではあるけれども、こればかりはいかんともし難い。風呂桶にとっては風呂釜はなくてはならない。
 ん。
 言葉の使い方が変かな?
風呂桶というのは浴槽の部分で、それだけではお湯を沸かすことは出来ない。釜は、うちの場合は家の外側に据え付けられている。それは水を一旦飲み込んで、お湯に換えて桶のほうに送り出す。
 これは、五右衛門風呂の場合は同じものだろう。
 ともかくも、その日から1週間、私はシャワーと浮気をすることになったのだ。
 もちろん、本気ではない。

[臥牛庵主人]