[荘園と本所法]

 「一口に荘園というけど、私有地がみんな荘園なわけじゃないわよね。
例えば、国造の流れを汲むような地方豪族、あるいは武士の揺籃となる土着系豪族の開墾したようなものは荘園とは呼ばないわ。」
 「五位以上の皇族や貴族、それに中央の寺社が領有する土地が荘園になるんだね。
でも、地方豪族の所有地であっても五位以上の皇族や貴族に寄進して荘園となるようなケースもあるからね。」
  「えーと、混乱するから時代を別けてと。
 まず、荘園というのは最初は売買することや相続することを認められた墾田を交換するなどして大きく集めたものだったわね。
 つまりは、律令体系からすると、本来は土地は公有で所有権なんていう概念は認められないんだけど、それが崩れていって、こういう荘園が出てくる。
 この荘園を墾田地系荘園なんていうわ。」
 「土地制度に関しては比較的早くから崩れていくからね。
 固有法復活の契機にもなっているし。
 とはいっても、最初の頃って8世紀後半から9世紀ごろだけど、この頃は荘園はそれほど大きいものではなくて郷の中に収まっていたし、墾田地系荘園なんていうように中央貴族がまがりなりにも国司・郡司を使って開墾することで成立していたんだね。」
  「そうね。
だけど、これも崩れてくるのよ。 契機となったのは『延喜の荘園整理令』かな。そのあたりから変わってくる。 それで、最初に言っていたように地方豪族が寄進するようなタイプの荘園が出現してくるわけね。」
 「出現してくるっていうのは変だよ。その前からあったわけだから。
 中心となってくるとか、権利の主体が変わってくるって感じだね。
 国司とか郡司などは地方豪族が多く任命されていて、当然だけど彼らはその土地土地のことを熟知していたわけだ。
 そこにいくと、中央貴族は富と権力は持っていたけど土地鑑は全くない。
 荘園を開墾したとはいっても自分自身では荘園経営をしない。」
  「地方豪族が力を蓄えていくのは当然といえば当然の流れよね。
そうして、地方豪族、これは開発領主っていわれるけど、彼らが中央貴族に寄進する形態が普及してくると、荘園領主っていうものの性格が変化してくるわね。」
 「領主というよりも荘園に対する収益権を指すようになっていくんだよね。
 これを寄進地系荘園なんて呼んだりする。」
  「それは、いわゆる不輸・不入権の獲得、つまり、田租収取権と支配権を朝廷から認められることで成立している。」
 「でも、あくまでも荘園っていうのは律令体系のもとでも土地制度の例外には変わらない。
 だから、荘園内部には律令は適用されないね。
 荘園内部では紛争は本所法と呼ばれる独自の法体系によって規定されていたんだね。」
  「う〜ん。部分社会の法理のような気もするけど。
それに、荘園間の紛争処理は律令によったのよね。つまり、律令も依然として機能はしていた。
ともかく、荘園で発生した本所法が慣習法となり、やがて武家法と結実していくわね。」