茨城県鹿島町に鎮座する延喜式内明神大社にして旧官幣大社。現代の鹿島神宮は慶長9年、徳川家康によって本殿が造営され、元和7年には徳川秀忠による諸殿造営が行われた。武甕槌(たけみかづち)神を主祭神とする常陸一ノ宮。平安貴族藤原氏の氏神として崇拝される。藤原氏というと春日大社であるが、鹿島神宮から春日大社へ神が渡ったとされている。また、中臣鎌足、後の藤原鎌足は鹿島の出身だとの伝説がある。2003.9.13 このサイトは「美と歴史」をテーマにしている。というわけで水彩画。香取神宮は延喜式内明神大社にして上総国一の宮、旧官幣大社。経津主大神(ふつぬしおおかみ)を主祭神とする。現在の社殿は徳川綱吉によって元禄13年に建造されたという。2003.9.13 ひがしの茶屋街を散策した後に、卯辰山寺院群を巡る。 まずは、浅野川の天神橋へ。 親切にも道に色づけがなされていて、地図を持っていなくとも迷うことはない。この日は小雨が降ったり止んだりといった空模様だったので傘を手放すことが出来ない。傘を差しながら地図も広げるというのは中々難儀。 地図が濡れてしまうと、地図にばかり神経をやっていると、こちらの体自体が濡れてしまうことになる。そこで、少しばかり濡れてもと意を決して傘を畳むと地図が濡れてしまって役に立たなくなる。 そうした時に色付きの道路が地図代わりになるというのは有り難い。 秩父もそうだけれども、こうした試みは全国に広がっているのだろうか。 少し歩くと、了願寺がひっそりとある。 ひっそりという形容が的を得ているかのように、強烈な自己主張することなく存在している。 心にゆとりが生じる。 浄土宗.妙善上人を偲んで建立した琵琶を弾く「妙音弁財天」の銅像が境内に立つ。 浅野川は、すぐそこに流れ、了願寺は卯辰山寺院群の入り口を守る。 かつて、京都の東西の端、化野と六波羅は葬送の地だったという。 化野の地で、そのことを今実感できるのが念仏寺。正式な名は華西山念仏寺。 嵯峨野から少し離れたところにある、この念仏寺は弘法大師空海が建立した五智山如来寺を前身とすると伝えられている。その面影はなく、後に法然上人が念仏道場としたことに由来する念仏寺という名称にかつてを偲ぶことが出来る。 と、いろいろと書いたが、化野念仏寺といえば、何と言っても、もの凄い数の石仏群。この石仏を見てからは、各地で石仏や五百羅漢像などを目にしたときに念仏寺のようだと感想を口にすることが常となっている。 本堂は正徳2(1712)年寂道和尚による再建だというが、石仏群は意外にも、それ程古くはない。現在のように並べられたのは明治36(1903)年頃だという。 もっとも、新しく作られたものでは決してなくて、化野の地に埋もれていた石仏を集めたものとのこと。まだ、そうした埋もれた石仏が化野の地には沢山あるのだろうか。 それらは、化野が葬送の地であった時のものなのであろうか。想像は尽きない。 |