本日の3番目。8番から歩を進める。横瀬の町役場を通り過ぎて西武線の横瀬駅の駅前の案内板で位置を確認する。以前、西武秩父の駅前の交番のおまわりさんから戴いた地図は、当日も役に立ったが念のため。線路に沿って役場から遠ざかる方向、つまりは所沢の方角を行く。 このように、念には念を入れたものの、またもや道を間違えそうになる。この点、人生と同じかもしれない。と思っていると、ここでも、前回の巡礼同様に案内板が実に心憎いところにある。 おかげで、迷うことなく明智寺に達することが出来た。 このお寺、病の母親を助けて暮らす兵衛という少年が老僧の言葉に従って、観音堂で『無垢清浄光、恵日破諸闇』と唱えつづけたところ「明々たる星」が母親に降り注ぎ、母親の病が治ったことに由来するという。「明々たる星」で寺号が明星山なのである。 埼玉県秩父郡横瀬町中郷2160 前回に行った丘を上がった7番法長寺のすぐ近くにある。 細い道を上がったところにある。パンフレットには、武甲山が良く見えるとあるが、なるほど、曇った中にあっても良く展望することが出来た。 参道の下には畑があり、秩父の札所は総じてそうではあるが、民家の中にあるという風情。 埼玉県横瀬町刈米1430 朝、早く出すぎた。 今日は、巡礼の3度目(10月26日)ということで張り切ったわけでもないが、横瀬への到着は8時前となった。正確にいうと、7時40分ごろ。当日の天気予報では南関東は朝から雨ということだったから、少し早めに起きて天気の様子を見た。 すると、雨が降っていない。念のため、新聞を広げる。やはり今日の天気予報は一日中雨。雨マークでびっしりだ。天気予報が変わっているかもしれないと思って、テレビのスイッチを捻る。雨、雨、雨だ。 しかし、外は少なくとも雨は降っていない。付け加えると雲の切れ間さえ見えるではないか。 これで、秩父に出張らない手はない。そう、決断して出発した。この間、十数分。 これが、早く着きすぎた原因。 というわけで、最初の8番の西善寺は門こそ開いていたものの、当然のごとく巡礼者の姿もお寺の関係者の姿もない。つまり、完全、貸切状態でお寺を堪能することが出来た。 西善寺は本尊の十一面観世音の前で祈祷した肌着を身に着けると天寿を全うできると言い伝えられているという。そのため、西善寺の別名を「ぼけ封じ延命長寿の寺」「嫁・姑円満成就の寺」というのだと。 この寺の見所は樹齢600年の「西善寺のコミネモミジ」。このモミジは関東を覆った幾たびかの兵乱を見守ってきたのだろう。 本尊:十一面観世音 埼玉県秩父郡横瀬町根古谷598 7番札所に立ち寄る前に11番に立ち寄った。 本当は第二回目の巡礼は11番札所までにするつもりだった。が、である。 すぐそばに7番があるではないか。ということを地図で確認したわけではない。 まず、丘があった。そして何気なく丘の上を見上げた。このときはもはや帰途についている。だから、2枚の地図もポケットから取り出してすっかり仕舞い込んでいた。 丘の上に寺が見えた。なんと言うお寺かなと少し気になる。そして、調べるより前に巡礼姿の人たちが丘を下りてくるのを目撃した。 ここは札所ではないか。 標識が見える。「7番」。そう、7番札所だ。 こうなっては立ち寄らない手はない。早速、先の巡礼の人たちが下りてきた道を逆方向に登っていく。 丘の上にある7番札所の法長寺へと至る道は畑に囲まれており、その先は民家に囲まれていた。下からみたときは大きな境内のように感じたが、丘を登りきったところから見える門への道は車が一台ようやく通れる程度しかない。すれ違うことは出来ないのだ。 しかし、その道を過ぎると丘の下から見たのと同じ規模の寺の境内が拡がっているのが確認出来る。 この法長寺、行基ゆかりであり行基の刻みこの地に安置した十一面観音に由来する。行基は十一面観音を背負って秩父の地に至ったが、そこで急に十一面観音が重くなったために、それを霊験として安置したという。その十一面観音がやがて牛の姿となって牧童と出会い、牧童は蹲った牛を看病し一夜を過ごす。一夜明けると牛は十一面観音になっていたのだという。 その十一面観音のためにお堂を建立したのが法長寺の始まりという。 秩父郡横瀬町苅米1508 秩父の中心街を貫く道路から入ってすぐのところにある。 場所としては非常に分かりやすい。 この常楽寺に足を伸ばしたときは午後の2時くらいだった。丁度、昼食を終えて一息ついて心地よくなる時間帯でもある。猫が人間様と同じように3度の食事をきちんと同じような時間にとるとは思えないけれども、眠くなる時間には人と猫との差はないようだ。 本堂の横の売店を兼ねているところの、お茶を陳列してある台の上で猫が昼寝をして巡礼者に愛嬌を振りまいていた。 当の猫にしてみれば、丁度その台がいい具合に体に合っていて、日もそこそこに当たるところであるから寝ていたという、ただそれだけのことかもしれない。台とはいっても、台の周囲には仕切りが木で拵えてあり、なかば箱のようになっているのだ。猫はなぜか箱が好きである。 秩父市熊木43-28 |