秩父31番鷲窟山観音院

30番から更に奥に行く。
標識を見落として危うくさらに奥の奥までいくところであった。
 途中の地蔵寺の一面の地蔵に京都の化野念仏寺を思い出す。


 いよいよ到着。かなりの人ごみ。ここは門からお堂まで急な階段が続いている。どうやらその頂上で女性が気分を悪くしたらしく救急車が門前に走りきた。
 観音院のさらに奥に山城の遺跡があるというが、なるほどここは要害の地だ。
そして、この観音院には秩父ゆかりの畠山重忠の話が伝わっている。
 重忠がこの地で狩をしたときに何度射っても矢を跳ね返す鷲の巣を見つける。訝しくなり巣を降ろしてみると、それは将門の乱でなくなってしまった聖観音像であったのだという。
 重忠は聖観音像を安置して観音院としたと言い伝えられている。
 重忠というと武州多摩の御嶽神社を思い浮かべるが、ここにも重忠の足跡を見ることができる。

秩父郡小鹿野町飯田観音2211

秩父32番般若山法性寺

ここは少し離れたところにある。
30番でタクシーの運転手が32番から31番へという経路で回るのが良いと話していた。


 別段、その言葉に誘われた訳ではないが、25番、24番方面へと引換す予定だったのを急遽変更する。
 何のことはない。道を間違えて32番への道に少し入ってしまったのが切っ掛けだった。道程は非常に長かった。途中、祭りの準備だろうか、神社の賑わいを目にする。
 お寺の本尊は行基菩薩作といわれる聖観世音。
 この聖観世音には言い伝えがある。昔、豊島権守の娘が秩父に嫁いできたときに、「さいが淵」乗っていた船が転覆しそうになった。そのとき、法性寺本尊の化身が娘を助けたのだという。そして、豊島権守が深く帰依したという。
 このお寺、山門がなかなかである。

秩父郡小鹿野町般若2661

秩父30番瑞龍山法雲寺

ここは本日の巡礼の折り返し地点。
地図で見ても秩父の札所のいわば西の端になる。近くに将門の名の付いた農園がある。このあたりは将門に由緒のあるところなのだろうか。将門といえば同じ武州でも青梅の話が有名だし、東京の大手町には将門公の首塚と言われる場所がある。

 そういわれれば、後に畠山氏や江戸氏を輩出した桓武平氏の秩父氏はまさに秩父に本拠を構えていた。
 何がしかの関係があるやもしれない。
 そうこう考えているうちに法雲寺に至る。このお寺の歴史も古く鎌倉時代に深谷山・岩の上堂に安置されていた深谷(ふかたに)観音を祀ったのだという。
 数々の寺宝をもって知られ、天文年間の古納札六枚や「天狗の爪」「龍の骨」「楊貴妃の鏡」がある。
 残念ながら、今回はそれらを目にすることは無かった。
本尊は楊貴妃観音とも呼ばれる如意輪観音であり、鎌倉建長寺19世道隠禅師が唐より持ち帰ったものと言い伝えられる。

秩父郡荒川村白久432


秩父29番笹戸山長泉院

入り口の売店でサトイモの親分のような大きな芋を購入する。
葉というのか茎というのか、そういう部分も付いていて、そこも食べるのだという。
帰ってから芋の部分はもとより、その葉というのか茎というのか、その部分も食したがなかなかだった。
 さて、この長泉院、元正帝の頃に龍女が燈す明かりに巡礼者が導かれて行って見ると、岩屋から聖観音像が出てきたことに由来するという。
 枝垂れ桜は見事というが残念ながら10月では堪能することは出来なかった。

秩父郡荒川村上田野557
秩父28番石龍山橋立堂

実はここは初めてではない。2度目の訪問になる。 
前回は何年前だったのか、残念ながら正確には思い出せない。長瀞の水に遊んだ後で立ち寄った。その時は28番札所の橋立堂そのものに立ち寄ったのではない。橋立堂の横にある県天然記念物の橋立鍾乳洞が目当てだった。橋立鍾乳洞は全長200メートルと入り口の質素さに似つかわしくなくかなり規模がある。さらに、入ってみるとわかるのだけれども、狭くて押しつぶされるのではないかと思えるほど圧迫感がある。それほどに見ごたえがあるとも言える。但し、私はあそこに再び分け入る勇気はと問われると自信がない。
 馬頭観音が本尊であるが、馬頭観音を本尊としているのは非常に珍しく西国、坂東、秩父の百観音霊場の中ではここと両国29番の松尾寺だけという。

秩父市上影森675