美と歴史トップ
アルファベット別索引
過日録
年表

[摂関政治(1)]
809年:嵯峨天皇即位(在-23)。
 嵯峨帝は空海、橘逸勢とともに三筆と称される。

810年:嵯峨帝と平城帝側近間の政治抗争「薬子の変」勃発。
平城上皇は側近の藤原薬子と藤原仲成を率いて平城京で二所朝庭と呼ばれる二極政治を実施。皇位返り咲きを狙って挙兵するも、嵯峨帝軍を率いる坂上田村麻呂によって阻止、仲成は射殺され薬子も自害。
「薬子の変」の結果、藤原冬嗣が蔵人頭になり藤原北家の台頭始まる。

823年:淳和天皇即位(在-33)。
833年:仁明天皇即位(在-50)
835年:空海薨去。
838年:最後の遣唐使、大使藤原常嗣、円仁ら出発。

842年:「承和の変」。藤原冬嗣の子の藤原良房が、伴健岑と、橘逸勢を追い落とす。淳和帝の子で恒貞親王が廃太子。代わって、仁明帝の子の道康親王(後の文徳帝)が立太子。

850年:文徳天皇即位(在-58)。
858年:清和天皇即位(在-76)。藤原良房は外戚であり、事実上の摂政となる。
 文徳天皇自身は第一皇子の惟喬親王を後継者と考えていたとされる。

864年:天台宗の円仁死去。

866年:「応天門の変」。平安京の応天門が炎上。左大臣源信が疑われるが、大納言伴善男と子の中庸の犯行とされる。これにより古代名族大伴氏の大納言伴善男は伊豆へ配流。
背景には嵯峨源氏の源信と太政大臣藤原良房との政治闘争があった。この後、藤原良房が清和天皇の摂政となる。
 『伴大納言絵巻』、『伊勢物語』

876年:陽成天皇即位(在-84)。清和源氏は陽成帝を祖とするとされるが、陽成帝は乱行が目立ったために清和帝を祖として伝えたとされる。

878年:「元慶の乱」。出羽で大規模な叛乱。

884年:光孝天皇即位(在-87)。藤原良房の養子であった基経が擁立。
887年:宇多天皇即位(在-97)。
同年、藤原基経が関白となる。これが藤原氏初の関白。
「阿衡事件」:宇多帝は藤原基経を関白に就けようとするが基経が橘広相の起草した文面中の阿衡に難儀を示し職務拒否。結局、基経の温子を宇多帝の入内で決着。
背景には橘広相の娘の義子が帝の皇子を2人も産んでいることがあった。
しかし、藤原基経と宇多帝の間に溝。基経亡き後、宇多帝は摂関を置かず寛平の治を行う。
宇多帝は菅原道真(845-903)を重用。これに対して藤原時平が反発。

897年:醍醐天皇即位(在-930)。
901年:菅原道真を大宰府へ左遷(「昌泰の変」)。
902年:延喜の荘園整理令。左大臣藤原時平主導の国政建て直し。
藤原時平の死後、醍醐帝の「延喜の治」も退廃。

905年:「古今和歌集」。歌人として、紀友則、紀貫之、大江音人、清原元輔。
この頃、書家としては小野道風、藤原佐理、藤原行成が三蹟とされる。

914年:三善清行による「意見封事十二箇条」。律令体制の崩壊がもはや防ぎようもないようになる。

930年:朱雀天皇即位(在-46)。
938年:空也が浄土思想に基づいて念仏宗を始める。

938年:「天慶の乱」。東で平将門が、西では藤原純友が叛乱。
この頃、紀貫之の『土佐日記』成る。

946年:村上天皇即位(在-67)。
村上帝の代に『伊勢物語』、『竹取物語』成る。

967年:冷泉天皇即位(在-69)。
左大臣源高明の娘婿の為平親王が冷泉帝皇太子の最有力候補だったが藤原氏側は弟の守平親王(円融帝)を皇太子に擁立。
969年:円融天皇即位(在-84)。
 同年、「安和の変」。源高明が為平親王擁立の陰謀ありと源満仲の密告によって、源高明が失脚し太宰権師に左遷。藤原北家による他氏排斥完了。
 以降は、北家内の兼通と兼家の兄弟対立、道長と伊周の叔父甥対立が軸に。
969年:同母兄の冷泉帝の精神疾患のために円融帝が即位。
同年、藤原実頼が関白就任。
970年:藤原実頼、太政大臣就任。これ以降摂政・関白は常置の官となり藤原氏相承。
同年、藤原実頼死去。
同年、藤原伊尹(謙徳公)が摂政就任。
971年:藤原伊尹(謙徳公)、太政大臣就任。
972年:藤原伊尹(謙徳公)死去。
この後、弟のその弟の藤原兼通と藤原兼家の間での権力闘争が激化。
同年、藤原兼通が内大臣就任。
977年:兼通,関白を藤原実頼の二男、つまり従兄弟に当る頼忠に譲る。弟の大納言兼家を右大将から治部卿に左遷。

978年:寝殿造で知られる藤原兼家の東三条殿完成。

984年:花山天皇即位(在-86)。
984年:皇太子師貞親王、花山帝として即位。
902年:「物価統制令」、「荘園整理令」発布。
花山帝は伯父に当る藤原義懐、乳兄弟の藤原惟成をブレーンとして重用。
986年:藤原道兼、花山帝を京山科の元慶寺に誘い出し出家させる。
兼家の長男道隆と三男道綱は三種の神器を乳兼家の孫(娘詮子の子)の皇太子懐仁親王のもとに運び即位させる。
この事件の後に、関白藤原頼忠は兼家に関白職を譲る。
986年:一条天皇即位(在-1011)。
995年:藤原道長、内覧となり藤原氏全盛時代に。