1181年(治承5年)1月1日戊申
早朝、源 頼朝が鶴岡八幡宮に参拝する。この日は政務は執り行わず、また、毎月1日を鶴岡八幡宮の奉幣の日にする。そして、三浦介義澄、畠山重忠、大庭景義に命じて夜から鎌倉の辻々を警護させた。頼朝は馬で礼殿へ向かった。専光房良暹が礼殿で待っていて、まず神馬一頭を引き立てた。宇佐美祐茂、新田忠常が、その神馬を引いた。引続いて法華経をあげる。法事が終わって御所に帰ってくると、千葉介常胤が椀飯を振舞った。この椀飯には90センチもの鯉も出された。出された酒と酒の肴は大変多かったという。
卯の刻、前の武衛鶴岡若宮に参り給う。日次の沙汰に及ばず。朔旦を以て当宮奉幣の日に定めらると。三浦の介義澄・畠山の次郎重忠・大庭の平太景義等郎従を率い、去る半更以後、辻々を警固す。御出の儀御騎馬なり。礼殿に着御す。専光房良暹予めこの所に候す。先ず神馬一疋を宝前に引き立つ。宇佐見の三郎祐茂・新田の四郎忠常等これを引く。次いで法華経供養。御聴聞の事終わり還御の後、千葉の介常胤椀飯を献る。三尺の鯉魚を相具す。また上林下客その員を知らずと。