1181年(治承5年)1月6日癸丑

工藤庄司景光が平井紀六久重を逮捕した。平井紀六という男は1180年8月の早河合戦の時に北条時政の長男の北条三郎宗時を討ち取った人物。源 頼朝が鎌倉に凱旋し関東におけて平家が劣勢となると行方をくらましていた。源 頼朝は駿河、伊豆、相模の人々に探索を命じていた。そして、遂に、相模の蓑毛で平井紀六久重は工藤景光によって逮捕された。工藤景光はまず北条時政のもとへ平井を連行した。その上で源 頼朝に仔細を報告した。その後に、平井の身柄は和田義盛(1147-1213)に預けられた。但し、罪を問いただすことが必要だとして、すぐに首を刎ねて晒すようなことはしないように命じられた。

工藤庄司景光、平井の紀六を生取る。これ去年八月、早河合戦の時、北條の三郎主を害するの者なり。而るに武衛鎌倉に入御するの後、紀六逐電し、行方を知らざるの間、 駿河・伊豆・相模等の輩に仰せ、捜し求めらるるの処、相模の国蓑毛の辺に於いて、景光これを獲る。先ず相具し北條殿に参る。即ち事の由を武衛に申せらる。仍ってこれを義盛に召し預けらる。但し左右無く梟首すべからざるの旨これを仰せ付けらる。 糺問するの処、所犯に於いては承伏せしむと。

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