北条泰時の出生から執権就任まで

1194年に元服し将軍源頼朝が烏帽子親を務めている。頼朝の一字を賜って、頼時と名乗る。1211年に修理亮に補任。1213年の和田合戦では父の義時と共に和田義盛を滅ぼした。1218年には父から侍所の別当に任じられ、また、式部丞に遷任。同年、従五位下に叙位。1219年には従五位上に昇叙。同年、武蔵守に転任。1221年の承久の乱では、幕府軍の総大将を務めて倒幕軍を破って京都に入った。そして戦後、朝廷を監視するために設置された六波羅探題北方として初めて就任した。因みに同じく南方には叔父の北条時房が就任する。

出所:wikipediaより竹内信春改変,GFDL


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