北条煕時
1279(弘安2)年 - 1315年8月18日(正和4年7月18日)。鎌倉時代の鎌倉幕府第12代執権(在職 1312年 - 1315年)である。父は北条為時。室は北条貞時の娘。子に北条茂時。名は貞秦。位は従五位下、左近将監。
引付衆などを務め、1305(嘉元3)年に長門探題となる。同年に嘉元の乱が起こり、北条宗方らを滅ぼす。1311(応長元)年には連署に就任し、1312(正和元)年に第11代執権宗宣が出家すると第12代執権に就任する。しかし、実権は内管領の長崎高綱(円喜)に握られていた。1315年に死去、享年37。法名を道常という。