北条煕時(1279-1315/7/18)
政村流時村系。父親は北条為時。1293年7月20日に従五位下左近将監に叙任。1295年7月24日に引付衆に就任。1298年12月9日に小侍所に加えられる。1299年2月28日に従五位上に叙位。1301年8月22日に評定衆に就任。1301年8月25日に四番引付頭人に就任。1302年11月18日に右馬権頭に叙任。1305年に京下奉行兼長門探題に就任。同年5月4日には、嘉元の乱で祖父の連署時村を内管領北条宗方に誅される。煕時も危ないところだったが、得宗北条貞時を説得、北条宗宣・宇都宮貞綱とともに北条宗方を討った。1306年6月12日には正五位下に叙位。1307年1月28日に一番引付頭人に就任。1307年2月9日に武蔵守に叙任。1309年4月9日に寄合衆に就任。同年8月27日に一番引付頭人を辞任するも、1310年2月18日には再任。1311年10月3日に連署に就任。1311年10月24日には相模守に叙任。1312年6月2日に第12代執権に就任。
京と鎌倉の宇佐小路のショッピング おこしやす楽天