西ローマ帝国の滅亡

[ A ]以降、皇帝の所在地としての首都はローマからミラノ、後に[ B ]に移っていた。ゲルマン人の侵入に耐え切れず、イタリア半島の維持さえおぼつかなくなった末、476年ゲルマン人の傭兵隊長[ C ]によってロムルス・アウグストゥルス(在位 : 476年)が廃位され、西ローマ帝国は滅びた。その後もガリア地方北部にシアグリウス管区がローマ領として存続したが[ D ]による新興のフランク王国領に編入され消滅した。旧西ローマ帝国の版図であった領域に成立したゲルマン系諸王国の多くは消滅した西の皇帝に替わって東の皇帝の宗主権を仰ぎ、東の皇帝に任命された官僚の資格で統治を行ったが、フランク王国が[ E ]朝の時代を迎え、カールが教皇レオ3世より戴冠され帝位に就いたことで、ローマ総大司教管轄下のキリスト教会ともども、東の皇帝の宗主権下から名実とも離脱した。

[出典]:wikipediaより改編。


A:ディオクレティアヌス帝
B:ラヴェンナ
C:オドアケル
D:クロヴィス1世
E:カロリング


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