平安マニエリスム

天平クラシシスムにおける高度な写実性は平安時代になると、装飾性の高い天台・真言の密教美術や知的表現を重んじる宮廷美術に取って代わられていく。そこでは何よりも形式化された様式美が尊ばれた。天平クラシシスムにおいては顕教絵画が中心だったが、平安時代になると密教美術が台頭してくる。代表的な作品には神護寺の胎蔵界と金剛界の両界曼荼羅図(高尾曼荼羅,829-33)、東寺の両界曼荼羅図、奈良の子島寺の両界曼荼羅図などが知られている。続いて、平安中期以降になると浄土信仰を背景として阿弥陀如来の来迎図が描かれるようになる。来迎図では、宇治の平等院鳳凰堂の阿弥陀浄土九品来迎図(1053)などがある。

この時代には大和絵と呼ばれる花鳥風月を題材とする国風の絵画が出てきてもいる。巨勢金岡や百済河成が活躍した。

宮廷美術では、藤原隆能による『源氏物語絵巻』は一本線で描かれた目にすぅっと引かれた鼻を特徴とする「引目鉤鼻」、建物を屋根なしで上から描いているかのような「吹抜屋台」という大きな特徴を持っている。常盤光永の『伴大納言絵巻』、命蓮の奇跡を描いた『信貴山縁起絵巻』、鳥羽僧正覚猷による『鳥獣戯画』、そして『平家納経』なども平安マニエリスムの代表作。


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