壇ノ浦の戦いに敗れた平氏一党は西国から全国各地へと散っていった。しかし、源頼朝率いる関東勢の追求激しく、次第に山奥へと追い詰められていった。その中の一部が川俣へと落ち延び、自らの出自を隠すために、鎧冑をこの塚に埋めたという。
以来、この塚を見ると目が腐り、指差すと指が腐るという言い伝えが残された。塚のもとには鎮魂のための小社が建立されている。
近くにはまた、平家平という地名やもう一つの平家塚がある。