阿保入道墓(関戸、鎌倉街道上道)
鎌倉幕府打倒に立ち上がった新田義貞軍は1333(元弘3)年5月16日に分倍河原で、最後の得宗北条高時(1303-1333;第14代執権)の弟の左近大夫将監入道恵性(北条泰家;鎌倉幕府滅亡後に北条氏残党を率いる)と分倍河原と多摩川を挟んだ対岸の関戸で激突。
北条軍は天守台と呼ばれた関戸城で新田軍を迎え撃つが包囲される。
そして、安保左衛門入道道潭、栗田、横溝八郎らが必死に防戦し、泰家率いる北条軍は鎌倉を目指して落ち延びていった。
安保左衛門入道道潭も横溝八郎も、この関戸の地で討死。
武蔵守護代安保父子の亡骸は民家の庭先の塚に葬られた。