鎌倉を目指した新田義貞軍は1333(元弘3)年に最後の得宗北条高時(1303-1333;第14代執権)の弟の左近大夫将監入道恵性(北条泰家;鎌倉幕府滅亡後に北条氏残党を率いる)と分倍河原と多摩川を挟んだ対岸の関戸で激突。ここで多くの鎌倉北条軍の武士達が命を落とした。