尾山神社
金沢駅前からバスに乗って、近江町市場のある武蔵ヶ辻を経て香林坊へと至る途上に神門を見ることが出来る。
慶長4(1599)年に2代藩主利長によって、現在も寺院群で知られる卯辰山に創建されたのが始まり。名称も当初は卯辰八幡宮(現宇多須神社)だった。その後、明治6(1873)年に現在の地に移され、名前を尾山神社と改めた。
藩祖前田利家公を祀ってあるものの、徳川家康を東照大権現として祀る江戸幕府への配慮からか華やかという印象はない。
但し、この神社の神門は非常な存在感のオーラを放っている。
このように、洋風の門を持つ神社というのは全国でも、ここ尾山神社だけなのではないだろうか。神門は、金沢総区長であった長谷川準也と大塚志良兄弟を発起人として、明治8(1875)年にオランダ人技師ホルトマンの設計で、津田吉之助が建立したものであり3層造りとなっている。外見は和漢洋の3様式折衷と見えるも、初層の3連アーチの骨組は完全な木造の日本様式というから驚く。
そのせいなのだろうか、神社という古式に則った建築様式をどちらかというと重んじる場所に、洋風の門を設けるという建築当時は画期的であったろう構図も、少しも嫌味なところがない。
思いを巡らすに、前田利家公も織田信長公に見出された頃、歌舞伎(傾き)者として知られたという。その歌舞伎具合も、また尾山神社の和洋の取り合わせ同様に意外としっくりとくるものだったのではあるまいか。
2003.6.28訪問。神門は重要文化財に指定されている。