八幡城の麓にある寺院。1256(康元元)年に佐々木高綱の三男高重が親鸞のもとで出家し、近江の蒲生に安要寺を開いたのが始まり。後に、六代の仲淳が近江から美濃の安八大樽に移る。その後も転々とし、現在の旧八幡城三の丸の地に移ってきたのは明治に入ってから。
訪問時(2006.4.28)には残念ながら閉館していたが、宝物殿には織田信長による地子免除安堵朱印状、朝倉義景、足利義昭、武田信玄、教如上人、証如上人らの書状が伝わるという。