長敬寺(郡上八幡)
八幡城第2代遠藤慶隆が鎌倉武士の末裔であり古今伝授の家柄を誇っていた東氏の子孫が飛騨高山照蓮寺にいることを知り、1601(慶長6)年に招いて建立。ちなみに、東氏は千葉介常胤の六男・千葉六郎太夫胤頼を祖とする。東中務丞胤行は承久の乱の功績によって美濃国郡上郡の地頭職を得る。その地を次男の東六郎左衛門尉行氏が承継。藤原定家に学んだ二条流の和歌を代々伝えるとともに、古今集の解釈である古今伝授を創始。しかし、戦国末期に一族の遠藤六郎左衛門尉盛数によって東下野守常慶、東七郎常堯の父子が八幡城を追われた。
2006.04.28訪問。