十九首
平 将門と言えば東京は大手町のオフィス街の真ん中にある将門首塚。しかし、ここ掛川には平 将門だけではなく将門に付き従った武将達の首も祀られている。坂東に独立王国の夢を抱いた平 将門は、940(天慶3)年に朝廷が派遣した平 貞盛、藤原秀郷によって討伐される。秀郷は平 将門らの19人の首を持って京都へと戻る途中、この地で朝廷の勅使と出会い、謀反人を内裏に近づけてはならないとのことで、現在の東光寺の南側を流れる血洗川と呼ばれている当時のドンドロ川で首を荒い、首実検の後に晒し首とした。さらに、首は路傍に討ち捨てられたのを気の毒に思った秀郷は19人の首を武将に相応しい埋葬を地元の人々に頼んだ。それが十九首。そもそも、掛川というのは19人の武将の首を川に掛けたからとも言い伝えられている。19人とは、平 将門、御厨屋別当多治経明、御厨屋別当文屋好兼、御厨屋三郎将頼、隅田忠次直文、隅田九郎将貞、鷲沼庄司光則、東三郎氏敦、大葦原四郎将平、大葦原五郎将為、大葦原六郎将武、大須賀平内時茂、長狭七郎保時、堀江入道周鏨、武藤五郎貞世、藤原玄茂、藤原玄明、阪上遂高。もともとは別々に葬られていたが時代とともに一つの塚を残すのみとなり、2001年に地元の人々の手によって供養塔が再建された。