滝山城址
多摩川を拝島橋で渡り、少し行ったところで交差している滝山街道を秋川方向へとしばらく進むと滝山城址入り口の標識が立つ。滝山街道は細い道なので、少し通行に注意が必要。八王子の市街地や横浜方面から来ると滝山街道よりも手前のやや広い道を西に進んで突き当たりを北上し滝山街道を東に戻るとすぐのところが入り口になる。滝山街道をそのまま進み、山を越えて多摩川沿いを秋川方面へ行くと高月城がある。
滝山城は大永元(1521)年に武蔵国守護代大石定重が高月城から移って築城した山城。その後、大石氏は後北条氏康に下り、定重の子の定久が北条氏康の子の氏照を養子として、氏照が城を拡充し関東屈指の山城とした。
越後の上杉謙信、甲州の武田信玄の猛攻を度々受けるものの落城せず、信玄・勝頼による永禄12(1569)年10月侵攻にも耐えた。しかし、更に備えを強固なものにするために南方の八王子城を築城して本拠を移したために廃城となった。天正年(1580)代のことという。
現在、滝山城の辺りは都立滝山公園となっており、三の丸、二の丸、中の丸、本丸などが名残を留めている。
城下町として、横山、八日市、八幡の三宿があったが、これら三宿は滝山城下、八王子城下、現在の八王子市街地と移動し名を残している。
さらに、滝山城から多摩川を挟んだ北側には滝山城の鬼門封じとして建立された普明寺大日堂があり、大日八坊といわれた過日を偲ばせている。