筋替橋

昼に出てきたので、朝食を採っていなかった。そこで、コンビニでパンを買おうと歩く。すると、店の直ぐ前に碑文が立つ。
 何でも、この辺りは鎌倉時代の「須地賀江(すじかえ)橋」に相当するという。
「須地賀江(すじかえ)橋」はいわゆる鎌倉十橋の一つとして知られ、1265年3月告知の公認府内商業地の一つ。
 ここはまた、名越光時の乱で得宗家に与力した三浦泰村一族が得宗時頼と安達景盛の挑発によって蜂起した宝治合戦(宝治元[1247]年)の折に安達景盛が武力を終結させた地(『吾妻鏡』)としても知られる。
 三浦軍と安達軍の戦いが激烈を極めたが、劣勢明らかになると、三浦軍は泰村以下一族郎党が法華堂(現白旗社)で自害し関東の名族三浦氏は滅亡。
 なお、三浦介の名跡は支族佐原氏が後北条早雲に滅ぼされた永正13(1516)年まで伝える。

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