大通寺
東寺の南にある源氏ゆかりの寺院。萬祥遍照心院大通寺というのが正式な名前で鎌倉幕府第3代将軍源 実朝の未亡人の本覚尼が1222(貞応元)年に真空回心上人を開基として建立した。実朝の母の北条政子も大通寺の財政を支え、鎌倉に下向した『十六夜日記』の著者として知られる阿仏尼は夫の藤原為家の供養のために寺に入ったこともあったとか。
本覚尼の手によって大通寺が建立される前は六孫王経基の子の源 満仲が父親の供養のために堂宇があったとされている。そもそもが源氏所縁の地だったわけだ。と、ここまで述べるとあっもしかしてと気付かれるかもしれない。そう、大通寺はかつてはJRの線路沿いにある六孫王神社と同じ地にあった。境内の広さも東は大宮から西は朱雀、北は塩小路から南は八条までもあった。室町時代に入っても足利尊氏、義満の崇敬も篤かった。しかし、明治時代の廃仏毀釈によって規模の縮小を余儀なくされ、更には現在地へ移転した。