与板藩 2万石
井伊(子爵家)。1634(寛永11)年に越後長岡藩主牧野忠成(ただなり)の次男、牧野康成に1万石を分知。牧野康成が与板に陣屋を構えたことで与板藩が始まる。康成から2代後の康重が信濃小諸に移封になったことで一度は代官領となる。
その後、井伊直朝の乱心によって取り潰されていた遠江掛川の井伊家が嗣子の直矩の名跡が許され、1705(宝永2)年に2万石で入封し復活。藩校正徳館の創設者としても知られる最後の藩主直安は大老井伊直弼の三男という生まれであったが、維新軍の長岡藩攻略に加わっている。