カラッチ

アンニーバレ・カラッチ(1560-1609)はボローニャ派の中心。当時の絵画などの制作の多くが工房で行われたが、カラッチもカラッチ一族として芸術を次々と生み出した。
アンニーバレの兄のアゴスティーノ(1557-1602)と従兄弟のロドヴィーコ(1555-1619)は一緒にアカデミア・デリ・インカミナーティという工房をボローニャで運営していた。このように工房単位で活動し弟子の育成に励んだことも、ボローニャ派が当時を代表するとされたことに寄与している。このように工房単位での作品の制作は、アンニーバレの代表作とされるローマのファルネーゼ宮殿ギャラリー天井画「バッカスとアリアドネの勝利」にも見て取れる。ボローニャ派の古典主義を踏まえた作風は以後各国の宮廷の好むところとなる。
そして、数多くのボローニャ派の流れを汲む芸術家を産んだ。

17世紀絵画の流れ(ボローニャ派)
17世紀のローマ絵画は、ミラノ出身のカラバッジョとボローニャ出身のカラッチを中心に形成されたと言える。
カラッチを中心にしたボローニャ派とでもいうべき人々は盛期ルネサンスのラファエロやティツィアーノの画風を大いに取り入れながらも、そうした偉大な先人の画風に縛られるということはなかった。つまり、いろいろな画家達の様々な画風を取捨選択して自分のものにした。つまみ食いと言ってしまえばそれまでだけど、それほど底が浅いものでは決してない。日本も和魂洋才の精神で経済発展を遂げたけど、それと同じ。
新しい流れは作ってはいるのだけれども、先人の画風に従っているという面、つまり古典主義的な面もあったために観衆は安心していることが出来たことになる。
この点はトンガッテいたカラバッジョとは異なる。

春日大社赤糸威鎧
春日大社に伝わる日本を代表する鎧。現存する鎧の中で最も豪華な金物僧職が施されているとされる。赤糸威というのは、「源平盛衰記」、「承久記」、「太平記」等に記述のある総体に赤糸で威した威毛のことを言う。春日大社のもの以外に東京都御岳神社蔵(国宝)「赤糸威大鎧」、根城南部家伝来とされる櫛引八幡宮の「赤糸威鎧」が知られる。製作期は鎌倉後期とされているが、南北朝時代まで下るという説もある。国宝 総高65cm

源氏物語絵巻「宿木」
国宝である「源氏物語絵巻」は10巻ないし20巻で1セットだったと考えられている。しかし、現在、確認されているのは4巻のみ。
そのうちの3巻は徳川美術館が所蔵している。
徳川美術館は名古屋市東区徳川町にある。尾張徳川家の家宝約1万3000点を所蔵している。
尾張家以外には阿波蜂須賀家に「鈴虫」「夕霧」「御法」を描く1巻が伝わっていた。後に、東京都上野毛にある東急グループ創設者五島慶太のコレクションを中心とする五島美術館が蜂須賀家から購入した。

薬師寺東塔

薬師寺は西暦680年、天武天皇9年に後に持統天皇として即位することになる皇后の病気平癒を願って天皇がもともとは藤原京に建立したという。
その後に、都が平城に移されたことによって、薬師寺も移転。現在に至る。
創建当時は東西両塔があったものの、火災によって西塔は焼失。昭和56年に再建された。
一方の西塔は幸いにも焼失を免れ、平城遷都当時の建築様式を現在に伝える。
この塔は六重塔のように見えるけれども、これは屋根の下の裳階(もこし)によるもので、実際は三重塔。ちなみに、屋根は天武帝を裳階(もこし)は持統帝を表現したものだという伝説がある。