横瀬・由良氏
祖の貞氏は父親の新田義貞が戦死した時に6歳であったために、仏門に入り良阿弥と称した。後に還俗してかつての家臣であった横瀬家に入った。横瀬氏は泰繁の子の成繁の時に由良氏を称した。この成繁は『鎌倉大日記』によると、応永23(1416)年に上杉氏憲の婿の岩松満純を破っている。また、翌年には、新田義貞を追討し新田氏を再興する意図のもと金竜寺を建立している。
成繁の子の国繁は小田原戦役後に常陸牛久を豊臣秀吉から拝領。関東を治めた徳川家康、秀忠に仕官。
鎌倉と京都をこよなく愛して二都物語。ゆるり、こゆるり、歴史散歩。
祖の貞氏は父親の新田義貞が戦死した時に6歳であったために、仏門に入り良阿弥と称した。後に還俗してかつての家臣であった横瀬家に入った。横瀬氏は泰繁の子の成繁の時に由良氏を称した。この成繁は『鎌倉大日記』によると、応永23(1416)年に上杉氏憲の婿の岩松満純を破っている。また、翌年には、新田義貞を追討し新田氏を再興する意図のもと金竜寺を建立している。
成繁の子の国繁は小田原戦役後に常陸牛久を豊臣秀吉から拝領。関東を治めた徳川家康、秀忠に仕官。