実朝の首塚(秦野)
首塚と書いてみしるしつかと読む。1219(建保7)年に、鎌倉幕府の第3代将軍源実朝は、甥の公暁に鶴岡八幡宮の境内で暗殺。しかし、公暁が討ち取られても実朝の首は見つからなかったという。その実朝の首は、公暁を討った武常晴が波多野忠綱を頼って供養を願い出たためと伝えられる。かつては、木造の五輪の塔もあったというが、忠綱が1250(建長2)年に伽藍を整備した金剛寺の所有となった後に、現在では鎌倉国宝館に展示されているとか。
首塚の場所は、秦野駅で神奈川中央バスの藤棚行きに乗って中庭で下車すぐ。バス停のそばに案内板があるので分かりやすい。