興福寺(奈良)

710(和銅3)年、平城京・左京三条七坊に建立された藤原氏の氏寺。しかし、起源は669(天智8)年に中臣(藤原)鎌足の病気の回復を妻の鏡大王祈願して釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために造営したことによる。当時は山階寺と呼ばれ、飛鳥時代には厩坂寺と呼ばれた。法相宗の大本山として知られている。また、平安京に遷都があった後も興福寺の悪僧がしばしば洛中に押しかけ強訴して時の政治を左右をもした。


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