鉢形城
伝説では六孫王源 経基(917-61)が館を建てたとも、畠山重忠が館を構えたとも伝わる。記録として現れるのは、室町時代の文明年間(1469-87)に山内上杉家の重臣長尾景春による築城以来。この本格的築城以降、鉢形城は扇谷上杉家、山内上杉家の抗争の舞台の一つとなった。
下って、天文年間(1532-55)には鉢形城は武蔵七党の流れを汲む花園城主藤田左衛門尉康邦の領することとなった。藤田康邦は山内上杉家の家臣であったが、河越夜戦で扇谷上杉、山内上杉両家が北条氏康に敗れると、北条氏康の家臣となり三男の氏邦を娘婿として迎えた。
北条氏邦は永禄年間(1558-70)に鉢形城を拡張、大修復した。しかし、1590(天正18)年に豊臣秀吉の小田原攻めに際して、北条氏邦は諏訪遠江守、猪俣能登守ら3,500の兵と篭城。前田利家、真田昌幸、上杉景勝、本多忠勝らの豊臣軍5万の軍勢と対峙。1ヶ月ほどの篭城の後に6月14日に開城した。