二十五坊跡

鶴岡八幡宮の裏手にある御谷(おやつ)と呼ばれる場所には昔、八幡宮に仕えた僧侶の住坊の二十五坊があった。鎌倉時代には鶴岡八幡宮別当が東大寺、東寺の別当を兼務した関係で、二十五坊も隆盛を極めた。しかし、戦国時代には衰退を余儀なくされ、明治時代の廃仏毀釈の中で鶴岡八幡宮寺が廃絶。二十五坊も姿を消した。

この地は昭和39年に大規模宅地開発反対の住民運動が起った場所としても知られている。住民達の必死の運動はやがて古都保存法へと結実していった。


2006.05.03訪問


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