栄西によって建立された京都で初めての禅寺。建仁寺のある夷社の南の地は『京雀』によると古来葬送の場所。すぐ北の博多町は造営時に博多から多数の大工がやってきて住み付いたからという説とともに、かつて墓場だったことに由来する墓場町が転訛して博多町になったともいう。
建仁寺は「けんにんさん」とも呼ばれるが、これは第11世住持蘭渓道隆が天皇の「仁」の字を避けて「建仁寺」を「建寧寺」と呼んだことに由来。