蘭人ヘンミの碑

仁藤町の大獅子がある場所のすぐ南に天然寺がある。その門の横、塀の外側にオランダ商館の第149代の館長ゲスベルト・ヘンミの墓がある。1805(文化2)年に掛川藩主太田資順が作らせた『掛川誌稿』によれば、1798(寛政10)年に江戸で将軍家斉と拝謁したヘンミは長崎への帰途、4月21日に掛川の本陣にて病没。何の病気であったのかは詳細は伝わっていないが旅の疲労が重なった上に日射病に掛かったのだとも言われている。ただ墓碑には渇病と記されている。

お墓は蒲鉾型であり、ヨーロッパの棺を思わせる。十字架が掲げられていることもなく、天然寺の過去帳には通達法善居士という戒名が残っているとか。当時は江戸時代だから致し方なしといったところだろう。最初のお墓は安政の大地震で破損してしまったというけれど、オランダ商館の寄進によって直ぐに修復され、その後も明治維新に至るまでオランダ商館からの供養があった。しかし、明治維新後は残念ながら忘れ去られ荒廃してしまっていたものを大正14年に地元の方々が旧に復したという。この心は日本的である。故国に戻ることのなかったヘンミ氏も自分をずっと忘れないでいてくれた日本人にきっと感謝して天国では自分を日本人だと名乗っているのではなかろうか。


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